言葉の語源
日常、耳にする言葉の意味を調べています。 日本語って知れば知るほど魅力のある言葉ですね。
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第4章「限定と無限-プラトン哲学における存在と生成-」
ギリシアの哲学者たち論争・対立に「ある」や「ない」という、世界把握の基本的な考え方が形を定める要素となるプラトンの目から見てゆく。
「同じ川へは二度と入れない」といったヘラクレイトスは、世界のあらゆる事物の生成、変化、消滅、そのような変化を引き起こすものは「火」だと考えていた。
「秩序はすべてのものにとって同一であり、神がつくったものでも人間がつくったものでもない。つねにあったし、あり、また、あるであろう、つねに生き続ける火として。ふさわしい分だけ燃え、ふさわしい分だけ消える。」(田山令史・斎藤慶典・編著『連続を巡る哲学-流れ・瞬間・同一性-』佛教大学)
絶えず燃えさかり揺らめく火を見て、彼がどう考え、その根拠はなにか、そして、どのように考えてゆくとそうなるのかを導き出している。
万物は流転する、万物が火へ還る、そして火から万物となる。川は「同じ川」という意味では変化しないが、絶えず流れる川の水という意味では変化している。このように考えると「同じ川へは二度と入れない」というのは不十分なあるいは間違った言い方ではないだろうかと、ヘラクレイトスの弟子を自任するクラチュロスは考えた。
絶えず燃えさかり揺らめく火はとどまったかと思うとまた変化する、すべてが絶えず失われていくとしたら、何も時間・空間やはんちゅう的諸関係に規定されて現れていることがかなわないので、なにも流動しないのと等しくなる。
流動するものとしないものの区別がなくなってしまうので、クラチュロスはその現象を表すために、指の先を動かすだけになってしまった。
プラトンは言葉がなくなれば、なにも伝える術もなくなると考えて、言葉による生成変化が成り立つ方法を模索する。
「つまり、言葉の意味というものは、目に見えて手で触れるこの現実世界には存在していない。意味というのは、別の世界に存在しているものなんだ。」「その言葉はその言葉以外のことを意味しない。その言葉で思いうかべるあれこれは、人によって全部違うけれども、意味というのは、絶対に同じ共通のものなんだ」(池田晶子『14歳からの哲学-考えるための教科書-』(株)トランスビュー)
数についても同じである。同時代のピュタゴラスの同学派ピロラオスから受け継いだ「限定と無限」の対をもとに、プラトンは存在の根拠付けをおこなったのである。
「この世界にはまず、『より多い/より少ない』といった不定性を特質とする『無限』の部類がある。その無限を『等しさ』や『2倍』といった数や比率が『限定』し、そうして二者から『混合』されて生成した生存者が『およそ美なるすべてのもの』として形づくられている。」(田山令史・斎藤慶典・編著『連続を巡る哲学-流れ・瞬間・同一性-』佛教大学)
数や言葉が物事の条理あるいは物事の正しい順序・筋道の世界を成立させているとプラトンは考えたのだ。
ここから自分が疑問に思うこと、批判すべきだと思う点を詳述する。
生(ある)、死(ない)について考えると、自分を生んだ母親、育ててくれた父親を思い出す。しかし、そのことが不愉快に感じられる、私はなぜ存在しているのだろうか。
たしかに、生まれた私に食べるものを与え、風邪をひかないように衣服を着せ、雨露をしのげる家に住まわせてくれた。
しかし、どうしても敬い慕うことができないのだ。なぜなら、3年前に亡くなった母を思い出しても、5年前に亡くなった父を思い出してもあのころは楽しかったとか、一緒に旅行へ行くことができてうれしかったとか思い出すものがないからだ。
物心ついたころ母が働いていたので保育園に預けられていた。保母が言った「あんたは嫌いなんだ。どうしても好きになれない」ある日、トイレに入っていると同じ組の子どもが急にドアを開けた。ドアを開けた女子は、私が用を足しているのを見て笑っていた。ほかの子どももあとからあとから来て、しまいには保母まで来た。が、その女子を責めることなく、同じように笑っていた。
小学校に上がっても同じように先生も、まわりの児童も意地悪だった。ささいな失敗をするといつも突き上げられた。ほかの子どもが同じような失敗をしてもそこまで言われている子どもは見たことがなかった。
そのような幼少期を過ごし大人になり結婚してから、母方の伯母が亡くなったので、告別式に出席したとき、親せきから「お前の母は、耳の聞こえない母親のために水商売をして生活費を稼いでいたのだ」と教えられた。
話を聞いてみると、母の母、つまり私からみて、母方の祖母は茨城の地主の娘であった。その娘は生まれたころ育てられた乳母が沐浴をしているとき耳に水が入ってしまったのに気がつかず何カ月も放置されたことで、両耳が聞こえなかったので、普通の子どもと同じように学校へも行けず、ほとんどうちの中だけで過ごした。
二十歳まで生きられるかどうかといわれたが、元来丈夫な体質なのか大病もせず大人になったので、婿を取って満州で暮らしたこともあったが、戦争が終わって日本へ戻ってきてから子どもを8人もうけた。その子どもの多さに祖母の兄弟は次第に疎んじ始めた。
いくら地主とはいえ敗戦直後の食糧が乏しいときに食いぶちが10人増えるのは大変なことだ。母親が働けない代わりに子どもたちに日ごろの鬱憤を晴らす叔父。
まだ幼い年ごろの母も例外ではない、田んぼの世話をするため、朝から晩まで働きどうし、土砂降りの雨の日には一人で田んぼに出て、仕事が終わるまで解放されなかった。
幼かった母も年ごろになってくると今度は母の生活費を稼いでこいと銘じられ、8人兄弟姉妹の中で年下の3人の娘たちが強制的に、東京で女給の仕事をさせられるも、早々に結婚してしまった母の住んでいる地元へ来て、叔父はいやがらせをするようになった。
そしてこともあろうか、母が身売りをしていたと吹聴して回っただけではなく、上の姉や兄も同じように意地悪をするように仕向けた。家のまで大声で怒鳴る、お酒を飲んで通行人に絡むなど近所迷惑な行動に思い余って、父と取っ組み合いになったこともあった。
私が幼いころ正月になると新年会と称してごちそうを食べに行くのだが、そのときいつもけんかをして帰ってきた父がとてもいやだったけれども、父なりに自分の妻をかばってのことだったと、今では感じられるようになった。私はより善いものを目指すために学びたいと願っている。「言葉は私のうちにもあるが、外にもある不思議な存在である」(池田晶子『14歳からの哲学-考えるための教科書-』(株)トランスビュー)
したがってロゴスの刺激に対して体の位置または姿勢を能動的に定めていき、言葉を大いに尊重しながら事象を模索することが大切なのだと考える。
ギリシアの哲学者たち論争・対立に「ある」や「ない」という、世界把握の基本的な考え方が形を定める要素となるプラトンの目から見てゆく。
「同じ川へは二度と入れない」といったヘラクレイトスは、世界のあらゆる事物の生成、変化、消滅、そのような変化を引き起こすものは「火」だと考えていた。
「秩序はすべてのものにとって同一であり、神がつくったものでも人間がつくったものでもない。つねにあったし、あり、また、あるであろう、つねに生き続ける火として。ふさわしい分だけ燃え、ふさわしい分だけ消える。」(田山令史・斎藤慶典・編著『連続を巡る哲学-流れ・瞬間・同一性-』佛教大学)
絶えず燃えさかり揺らめく火を見て、彼がどう考え、その根拠はなにか、そして、どのように考えてゆくとそうなるのかを導き出している。
万物は流転する、万物が火へ還る、そして火から万物となる。川は「同じ川」という意味では変化しないが、絶えず流れる川の水という意味では変化している。このように考えると「同じ川へは二度と入れない」というのは不十分なあるいは間違った言い方ではないだろうかと、ヘラクレイトスの弟子を自任するクラチュロスは考えた。
絶えず燃えさかり揺らめく火はとどまったかと思うとまた変化する、すべてが絶えず失われていくとしたら、何も時間・空間やはんちゅう的諸関係に規定されて現れていることがかなわないので、なにも流動しないのと等しくなる。
流動するものとしないものの区別がなくなってしまうので、クラチュロスはその現象を表すために、指の先を動かすだけになってしまった。
プラトンは言葉がなくなれば、なにも伝える術もなくなると考えて、言葉による生成変化が成り立つ方法を模索する。
「つまり、言葉の意味というものは、目に見えて手で触れるこの現実世界には存在していない。意味というのは、別の世界に存在しているものなんだ。」「その言葉はその言葉以外のことを意味しない。その言葉で思いうかべるあれこれは、人によって全部違うけれども、意味というのは、絶対に同じ共通のものなんだ」(池田晶子『14歳からの哲学-考えるための教科書-』(株)トランスビュー)
数についても同じである。同時代のピュタゴラスの同学派ピロラオスから受け継いだ「限定と無限」の対をもとに、プラトンは存在の根拠付けをおこなったのである。
「この世界にはまず、『より多い/より少ない』といった不定性を特質とする『無限』の部類がある。その無限を『等しさ』や『2倍』といった数や比率が『限定』し、そうして二者から『混合』されて生成した生存者が『およそ美なるすべてのもの』として形づくられている。」(田山令史・斎藤慶典・編著『連続を巡る哲学-流れ・瞬間・同一性-』佛教大学)
数や言葉が物事の条理あるいは物事の正しい順序・筋道の世界を成立させているとプラトンは考えたのだ。
ここから自分が疑問に思うこと、批判すべきだと思う点を詳述する。
生(ある)、死(ない)について考えると、自分を生んだ母親、育ててくれた父親を思い出す。しかし、そのことが不愉快に感じられる、私はなぜ存在しているのだろうか。
たしかに、生まれた私に食べるものを与え、風邪をひかないように衣服を着せ、雨露をしのげる家に住まわせてくれた。
しかし、どうしても敬い慕うことができないのだ。なぜなら、3年前に亡くなった母を思い出しても、5年前に亡くなった父を思い出してもあのころは楽しかったとか、一緒に旅行へ行くことができてうれしかったとか思い出すものがないからだ。
物心ついたころ母が働いていたので保育園に預けられていた。保母が言った「あんたは嫌いなんだ。どうしても好きになれない」ある日、トイレに入っていると同じ組の子どもが急にドアを開けた。ドアを開けた女子は、私が用を足しているのを見て笑っていた。ほかの子どももあとからあとから来て、しまいには保母まで来た。が、その女子を責めることなく、同じように笑っていた。
小学校に上がっても同じように先生も、まわりの児童も意地悪だった。ささいな失敗をするといつも突き上げられた。ほかの子どもが同じような失敗をしてもそこまで言われている子どもは見たことがなかった。
そのような幼少期を過ごし大人になり結婚してから、母方の伯母が亡くなったので、告別式に出席したとき、親せきから「お前の母は、耳の聞こえない母親のために水商売をして生活費を稼いでいたのだ」と教えられた。
話を聞いてみると、母の母、つまり私からみて、母方の祖母は茨城の地主の娘であった。その娘は生まれたころ育てられた乳母が沐浴をしているとき耳に水が入ってしまったのに気がつかず何カ月も放置されたことで、両耳が聞こえなかったので、普通の子どもと同じように学校へも行けず、ほとんどうちの中だけで過ごした。
二十歳まで生きられるかどうかといわれたが、元来丈夫な体質なのか大病もせず大人になったので、婿を取って満州で暮らしたこともあったが、戦争が終わって日本へ戻ってきてから子どもを8人もうけた。その子どもの多さに祖母の兄弟は次第に疎んじ始めた。
いくら地主とはいえ敗戦直後の食糧が乏しいときに食いぶちが10人増えるのは大変なことだ。母親が働けない代わりに子どもたちに日ごろの鬱憤を晴らす叔父。
まだ幼い年ごろの母も例外ではない、田んぼの世話をするため、朝から晩まで働きどうし、土砂降りの雨の日には一人で田んぼに出て、仕事が終わるまで解放されなかった。
幼かった母も年ごろになってくると今度は母の生活費を稼いでこいと銘じられ、8人兄弟姉妹の中で年下の3人の娘たちが強制的に、東京で女給の仕事をさせられるも、早々に結婚してしまった母の住んでいる地元へ来て、叔父はいやがらせをするようになった。
そしてこともあろうか、母が身売りをしていたと吹聴して回っただけではなく、上の姉や兄も同じように意地悪をするように仕向けた。家のまで大声で怒鳴る、お酒を飲んで通行人に絡むなど近所迷惑な行動に思い余って、父と取っ組み合いになったこともあった。
私が幼いころ正月になると新年会と称してごちそうを食べに行くのだが、そのときいつもけんかをして帰ってきた父がとてもいやだったけれども、父なりに自分の妻をかばってのことだったと、今では感じられるようになった。私はより善いものを目指すために学びたいと願っている。「言葉は私のうちにもあるが、外にもある不思議な存在である」(池田晶子『14歳からの哲学-考えるための教科書-』(株)トランスビュー)
したがってロゴスの刺激に対して体の位置または姿勢を能動的に定めていき、言葉を大いに尊重しながら事象を模索することが大切なのだと考える。
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