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言葉の語源

日常、耳にする言葉の意味を調べています。 日本語って知れば知るほど魅力のある言葉ですね。

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 かつてイギリスの元首相、チャーチルが言った言葉がある「その国の高齢者の状態を見ると、その国の文化の状況が分かる」と。日本の高齢者の抱えている問題や、それへの社会福祉の状況から、私たちはこの言葉の持つ意味をしっかりと見極めることが肝要である。福祉は今や文化である。(福祉士養成講座編集委員会編『新版 介護福祉士養成講座1社会福祉概論』中央法規出版)戦後の昭和30年代半ばを境に日本の生活は大きく変わってきた。
 かつて家内工業だったものがそれだけでは生活が成り立たなくなり、若者は職を求めて都市へ移り住み、労働に見合った賃金報酬で暮らす、賃金生活者が増える。
 明日のお米の心配をしなくなり収入が安定する一方、その収入の範囲でしか生活が成り立たなくなってくる。子どもを多く欲しいと思っていても生み育てる生活費や、能力を伸ばすために教育費を拠出することが難しくなってきた。集団就職で都会へ出てきた若者はそのまま住み着き結婚する者も多く、子どもができても故郷へ戻る者はほんの一握りに過ぎない。
 田舎に取り残された両親は年月と共に年老いていく、あるいは配偶者を亡くし一人暮らしが多くなってくると世帯数は増加するが世帯人数は減少してくるという一人暮らしが多くなってくる。
 65歳以上の人口割合が7パーセントから14%に達するまでに要する年数は、フランスでは104年も掛かっているのに対して日本ではたったの24年、実に四分の一の短い年数で高齢化社会を迎えたのである。これは世界でも類を見ないスピードだ。
 また女性の社会進出も目覚ましい年代であるにもかかわらず、結婚すると企業から退職を迫られることもある、運よく結婚後も仕事に従事することができたとしても今度は、妊娠、出産、育児がのし掛かる。それに対して預かり施設の減少、小学校でのいじめなどのニュースを聞くとあえて出産の道を選ばなくてもいいのではないだろうかという女性も多くなってくる。
 反対に子どもが欲しくてもできない世帯も増えている、経済的な理由もさることながら、今まで女性側の原因とされてきた不妊は、実は男性側にも問題があることが分かってきた。
 一時期ドラマにもなった「成田離婚」は、海外での新婚旅行から帰ってきて成田国際空港へ降りたった途端離婚を言い渡される男性が多いことから名付けられた。
 以前は結婚といっても見合いが多く結婚するまで清く正しくということが尊ばれた時代、けれども婚前交渉もある程度は必要だと考える今、新婚旅行を終えてから二人の生活を考えるときの夫婦のギャップが早々に芽生えてくる。大役をやり終えたという憔悴した夫と、これから子供を産み育てていかねばと考える妻の考えとのはざまに大きな溝ができてくる。
 このままでいいのだろうか。確かに戦後の復興目覚ましく急成長したけれども、それは日本人として適切な成長になっているのだろうか。
 現代のように物質的な豊かさが飽和し始め、経済が成熟期ないし安定期に入ってくると、これまでとは大きく異なって、長期的な将来を予測することが可能となり、また必要になってくる。つまり、これまで以上に「長期的な生活設計」というものをすることが可能な時代に、現代の日本はなりつつあるのであり、逆にいえば、そうした生活設計を立てることの「必要性」もまた大きくなっているのである。(広井良典『日本の社会保障』岩波新書)
 こうした時代の移り変わりを考えるようになったのは息子が大学2年になるときに言った言葉がきっかけである。「就職するまで年金の支払いは待ってもらおうかな」。私が息子と同じ年代のころはもう仕事に従事していたので有無をいわさず、社会保険、雇用保険そして厚生年金は三点セットで給料から天引きされていたので、気にすることなどまったくなく、また学生身分の同級生はそんなことより自分の楽しみのために使おうと考えているのが大部分だった。
 今ではどこへ行っても飲食店が建ち並び食べたいものが食べられる、着たい洋服もお金を出せば買える、電車や飛行機に乗れば外国へも旅行できる、小さいころからそうやって育ってきた子どもたちには当たり前の生活である、それを大人になっても維持しようとする安定さを求めるようになる。安定を求めるということは、言い換えればさまざまなリスクに対応する備えをすることにほかならないからである。
 生活設計を考える上で個人としての備えも大切であるけれども、公的機関が対応すべきこともある。この後者に当たるもの社会保障である。社会保障は大きく分けると4つある。所得保障、医療保障、公衆衛生そして社会福祉である。
 第2次世界大戦後に制定された社会福祉という概念は主に経済的に困窮している者を救済する意味合いが強かったものが、例えばよりおいしいものを食べたいという欲求や静かで落ち着いた家に住みたい、人の上に立ちたいなど積極的な欲求の目的を達成するため、あるいは欠けたところを補完する教育やサービスを与える事業へと変化していった。
 以前、私はボランティアとして目の見えない人のために病院へ診察に行くときなどの付添いをしていた。それを聞いた知人は「私は、そんなたいそうな心を持っていない。ボランティアをする人を尊敬するよ」と、言った。確かに日本人は奥ゆかしいので「私が付き添います」と、こちらから言いだせる人は少ないかもしれない、悪くすれば親切の押し売りと取られかねない。
 しかし、そういった知人は、私に比べるともっと心根の優しい人である。一緒に編み物教室に通っていて、作業の遅い人をいつも気にかけてくれる。「この先はどうやって編むの?」、自分が編み物をしていてもいやな顔一つせず教えてくれる。いつもはマシンガンのようにおしゃべりな彼女がこのときばかりはポエムでも読むがごとく、ゆっくり丁寧にはっきりと明確に順序よく教えてくれるのである。
 そんな彼女によくいったものである。「あなただってしっかり私にボランティアをしてくれてるじゃない。この前も落としたハンカチを拾ってくれたでしょう。『落ちましたよ』と拾ってくれる、それこそがボランティアなんだから」、そういうと怪訝そうな顔をして私を見詰めるけれども、ほんとうなのだ。何もご大層なことをしているわけではない。私の空いている時間と誰かに付き添って欲しいという人の時間が合致したとき、初めて成り立つものである。
 どこの市長だか失念したが、以前「ボランティアというのは『志願兵』という意味なんですよ」と教えてくれた。そのときはたいそうびっくりしたが、私にとってはなるほどというところもある。
 誰から強制されているものではない、自らの意思で現地に赴き目の見えない人やお年寄り、知的障害や身体障害の子どもと触れ合い、共に笑い悩んだりすることはほんとうに喜びなのである。それはこんな私でも誰かの役に立っているという喜びがそうさせるのではないだろうか。
 したがってそれは、これからの日本人が社会福祉に向かっていくための適切な成長だといえると思う。
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