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言葉の語源

日常、耳にする言葉の意味を調べています。 日本語って知れば知るほど魅力のある言葉ですね。

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 以前、受けた認知心理学者である苫米地英人博士のセミナーでこのような質問があった「朝、目覚める1時間ほど前に、その日の一番悪いことであろう事を思ってしまうのはいいのでしょうか」と、それを受けて博士は「悪くはない。その日の朝、目覚める1時間ほど前に、その日の一番悪いことであろう事を思ってしまう人は、自分の望む要求に沿って生きてないということなのだよ。寝ているときはすべての社会洗脳が解けて本来の自分がでてくる。そのとき自我が欲することをやってないと悪夢を見て、いやなことを感じて後悔する。ということは望む人生を送っていないということなのだ」。実は私も質問者と同じような体験をしていた。
 たいてい夢の登場人物は意地の悪いやつで、とてもひねくれた顔をしている。しかしこちらは悪口を聞くのも言うのも嫌いだから何も言い返せない、あとには不愉快な感情だけが残りとても目覚めの悪い朝を幾度となく迎えていた。
しかし、ここ数カ月はその悪夢を見ていないのは、なぜだろうか。マズローの欲求段階説というものがある。一つの動機が充足されたあとに、ほかのどの動機が行動を支配するのかは段階的に決定され、基本的な動機が充足されなければ、高次の動機が行動を支配することはないという。(橋本憲尚編著『心の理解を求めて』佛教大学)
 まず最下位は人が生きていく上で欠かせない基本的な欲求であるが、空気や水は満たされていた。では睡眠や食べ物はどうだろうか。
 睡眠もやはり邪魔されるということは記憶にないが、食べ物は好きなだけ食べていたというより、残さないで食べることが母を喜ばすことにつながるという感覚がある。
 私には姉が一人いる。母は長女をとても好いていたが、私には笑顔をあまり見せなかった。小学校にあがってから母は私にこう言った。「おまえを生んだのは姉がひとりっ子ではかわいそうだから生んだのだ。ほんとうはおろしたかった」私は望まれずにこの世に生を受けたのだけれども、幼いころはそんなことを考える知恵もなく、ただ母の笑顔を見ることだけを考えていた。
 舞台劇に「森は生きている」というお話がある。大晦日の夜、年若いわがままな女王が「マツユキソウを見つけた者には籠いっぱいの金貨を与える」とおふれを出すことから物語は始まる。
 雪が積もり、森の動物は冬眠に入る12月なのに、春に咲くマツユキソウが咲いているはずはない。けれども、お母さんは末の娘に森へ探しに行けと言う。こんな寒い夜に一人ではいやだというと「こんな吹雪の晩にかわいいお姉ちゃんを外に出せるはずがないだろう。おまえだけで行くんだよ」と花籠一つとストールを持たせてうちから追い出した。始めて見たとき、この情景はうちの母親と姉、そして私の立場とまったく同じだと、直感した。
 姉は小さいころからなんでも優遇されて育ってきた。ご飯の量はみんな同じだけれども「今日ハンバーグが食べたい」と姉が一言言えば必ず夕方はハンバーグが出た。私が「カレーを食べたい」といっても聞き入れてくれたことはない。
 小学校にあがって自分一人の勉強机があてがわれた。姉は整理整頓が下手で、いつも机の上が散らかり放題であったが怒られるのはなぜか私である。父はよく言った「おまえはお姉ちゃんが大事じゃないのか。姉妹は大切にしなきゃいけない、だからお姉ちゃんができなかったらおまえがやるんだ」そういわれていたので私が二人の勉強部屋の掃除と姉の机の上を掃除していた。今から思えば、常に家族のために尽くしてきた、そうするようにしつけられてきた。どんなことも、はいはいと素直に聞き、学校から帰宅したら部屋に掃除機をかけ、夫婦共稼ぎなので晩ごはんの用意をする。週末は、たらいを出して家族全員の汚れた靴下を午前中いっぱい、多いときは午後3時すぎまでかかって洗うのが仕事だった。物心ついたころから、しばしば思考停止したのを覚えている。
 半面、姉は何をしていたのか記憶にはない。洗濯をするでもなく、食事の下ごしらえをするでもなく、掃除機をかけるところなどは見たことがない。食べるものもわがままで、あれはいやだ、これを食べたいとかなりぜいたくをしていた。私は絶対に母の作る食事に対して不平不満を言ったことはない、なんでも箸を口に運んで、どんなものでも笑顔でおいしいと言っていた。食事だけが唯一、姉に勝てるものだったのだ。どんなにおなかがいっぱいでも無理して食べた、笑顔で食べた。これを食べたらほめてもらえる、お母さんに喜んでもらえると本気で思っていた。
 けれども、偉いよとほめられて終わりである。次の瞬間にはもう姉に笑顔を向けるのだ。しかし唯一、姉に勝てる食欲を手放すことはできなかった。これがなくなれば、今よりもっと笑顔が見られなくなる、それは私にとって絶望でしかなかった。いつしか、その食事方法に慣れていき成人して結婚してからもそういう生活が続いていた。
 ある日、主人の両親と義妹と一緒に食卓を囲んでいたとき義妹が「もうおなかがいっぱいになっちゃったから、これ、食べてくれない?」と言われた。私はもう十分食べたけれども義妹と仲良くなりたかったので、無理をして食べた。それを見ていた義妹がクスクスと笑いながら言った「ほんとうにいくらでも食べるんだね」。
 その言葉を聞いて、はたと考えた。こんなにおなかがいっぱいなのに、なぜ食べなければならないのだろうか。違う日に、また両親と義妹と食事をする機会があったので、今度は私から義妹へ「おなかがいっぱいになっちゃったから、これ食べてくれる?」すると、義妹は「私はもう欲しくないからいらない」と断った、そのとき始めて自分が満腹だったら断ってもいいんだ、断ることは悪いことではないのだと始めて知った。
 また違う日、買い物の途中で大きなトラックにひかれそうになったが、すんでのところでぶつからずに事なきを得た。帰宅しても黙っていたが、近所の人が目撃していたらしくそれを聞かされた義母がこう言った「大丈夫かい、ケガはなかった?」私は涙が出た。
 そんなふうに実母から言われたことがなかったからだ。こんな私の身を案じて心配してくれる人など今までにいなかった。
 その日から私は自分を少しずつコントロールするようになった。子供を産み、家族が得られたことから家庭生活全般について、どのように家事を進めていけばいいか考えた。
 本も読んだ、炊事、洗濯、掃除を効率よくこなす術も身に付けた。それからパソコンを使い、インターネットを接続して仕事をするようになったけれども能力の限界を知る、通信講座や読書をすることだけでは得られない学力を底上げする必要があると痛切に感じた。
 そんなときに佛教大学に出会った「へだてなく学びの楽しさを」その一言で決定した、新たな学校生活の始まりである。不思議なことに決めてからは思考停止や、前述の悪夢を見ることはパタリとなくなった。そんなことにかまっている余裕がないほど忙しくなったせいだろうか。
 内発的動機づけは(省略)「たのしいからやる。おもしろいからやる」というように行動自体が目的化している。(速水敏彦『自己形成の心理』金子書房)私の場合、知的好奇心によるところが大きい、もちろん評価をいただければうれしいけれども、今はその行動こそが、私への報酬となっているのであった。
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