言葉の語源
日常、耳にする言葉の意味を調べています。 日本語って知れば知るほど魅力のある言葉ですね。
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私と同時期に子どもを出産した女性Aさんがいました。
相手のお子さんはおっぱいを飲む力が弱くて鼻から胃までチューブを入れて、
そこから搾った母乳を注射器で流し込んでいました。
同じ病室になったよしみで何くれとなく面倒を見ていたのですが、
ある日「ちょっと子どもを抱いていてくれ」というので言うとおりにしたら
看護婦を呼んできて「うちの子どもを放してくれない」と訴えるのです。
あなたが抱っこしてくれと言ったんじゃないと言い返すと
「私はそんなことは言ってない」のというんです。
あとで看護婦の言うことには、
「ちょっと育児ノイローゼになっているから、あまり構わないほうがいいですよ」。
支離滅裂だったけど、ノイローゼならしかたがないと思い、
私は病院を退院したら、すっかり忘れていました。
数年後、同じ幼稚園でバッタリ。
Aさんは私のことをしっかり覚えていて、
また付け回してきたと、いろいろ言い触らされました。
私は、そういうことを友人から聞いて、
「ああ、あの人?!」とやっと思い出した始末なんですが、
それを聞いた幼稚園の先生が私に真否を尋ねます。
しかし、全然私には思いあたる節もないので、
どうしてそんなことをいうのか聞くとAさんは
同じ病室で子供が生まれたんだけれども、
それからいつも監視しているとか、いじめるとか、
外へ出るのが怖いとか言っているんです。
思い当たる出来事は全然ないのですが
かろうじて思い出したことはたった2つです。
働いているので子どを保育園へ預けていたころ、
帰り道、たまには遠回りしてみようといつもは通らない道を通ったら、
Aさんの住んでいる団地があって、Aさんと偶然会ったのですが
話すこともないので会釈して帰りました。
ほかに買い物の途中スーパーの前で会ったんです。
子どもをおんぶしていたので、オネムかなと思って
重いだろうし、あんまり長話と二言三言で終わりました。
「子どもが生まれて3年もの間、
たった二度しか会ってない私に
何ができるというのでしょうか」
と言うとAさんは泣き出しました。
そしてぽつりぽつりと話し始めたことには、
同じ時期に生まれたのにどうしてうちの子だけと思ったこと、
育つのが遅いのでいつも引け目を感じていたこと、
スーパーの前で会ったとき、
自分の子どもはほとんど歩くこともできないのに
手を引いて歩いているのを見せ付けられとても悔しかったことなど、
泣きながらしゃべりました。
幼稚園の先生は、それなら誰もわるくないんだから、
謝りましょうと言ってくれて、Aさんは私に頭を下げました。
彼女もつらかったのだと思います。
自分の身体がから産み落としたのだから
余計に責任を感じていたのも同じ母として十分に分かります。
しかし人に責任転嫁しても変わりません。
子どもがわるいわけでもない、親がわるいわけでもない、
あるがままを受け入れることから、一歩前に進むことができる、
私はそう思います。
相手のお子さんはおっぱいを飲む力が弱くて鼻から胃までチューブを入れて、
そこから搾った母乳を注射器で流し込んでいました。
同じ病室になったよしみで何くれとなく面倒を見ていたのですが、
ある日「ちょっと子どもを抱いていてくれ」というので言うとおりにしたら
看護婦を呼んできて「うちの子どもを放してくれない」と訴えるのです。
あなたが抱っこしてくれと言ったんじゃないと言い返すと
「私はそんなことは言ってない」のというんです。
あとで看護婦の言うことには、
「ちょっと育児ノイローゼになっているから、あまり構わないほうがいいですよ」。
支離滅裂だったけど、ノイローゼならしかたがないと思い、
私は病院を退院したら、すっかり忘れていました。
数年後、同じ幼稚園でバッタリ。
Aさんは私のことをしっかり覚えていて、
また付け回してきたと、いろいろ言い触らされました。
私は、そういうことを友人から聞いて、
「ああ、あの人?!」とやっと思い出した始末なんですが、
それを聞いた幼稚園の先生が私に真否を尋ねます。
しかし、全然私には思いあたる節もないので、
どうしてそんなことをいうのか聞くとAさんは
同じ病室で子供が生まれたんだけれども、
それからいつも監視しているとか、いじめるとか、
外へ出るのが怖いとか言っているんです。
思い当たる出来事は全然ないのですが
かろうじて思い出したことはたった2つです。
働いているので子どを保育園へ預けていたころ、
帰り道、たまには遠回りしてみようといつもは通らない道を通ったら、
Aさんの住んでいる団地があって、Aさんと偶然会ったのですが
話すこともないので会釈して帰りました。
ほかに買い物の途中スーパーの前で会ったんです。
子どもをおんぶしていたので、オネムかなと思って
重いだろうし、あんまり長話と二言三言で終わりました。
「子どもが生まれて3年もの間、
たった二度しか会ってない私に
何ができるというのでしょうか」
と言うとAさんは泣き出しました。
そしてぽつりぽつりと話し始めたことには、
同じ時期に生まれたのにどうしてうちの子だけと思ったこと、
育つのが遅いのでいつも引け目を感じていたこと、
スーパーの前で会ったとき、
自分の子どもはほとんど歩くこともできないのに
手を引いて歩いているのを見せ付けられとても悔しかったことなど、
泣きながらしゃべりました。
幼稚園の先生は、それなら誰もわるくないんだから、
謝りましょうと言ってくれて、Aさんは私に頭を下げました。
彼女もつらかったのだと思います。
自分の身体がから産み落としたのだから
余計に責任を感じていたのも同じ母として十分に分かります。
しかし人に責任転嫁しても変わりません。
子どもがわるいわけでもない、親がわるいわけでもない、
あるがままを受け入れることから、一歩前に進むことができる、
私はそう思います。
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