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言葉の語源

日常、耳にする言葉の意味を調べています。 日本語って知れば知るほど魅力のある言葉ですね。

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烏樟

うしょう、と読みます。

黒文字という木がありまして、その樹皮を烏樟といいます。漢方薬にも使われ樹皮のほかにも、葉っぱを乾燥させて煎じて飲むと胃腸の働きを助け、枝などをそのままお酒に漬けたり、お風呂に入れると身体が温まるといわれています。

ちょっと気どっておもてなしをするとき「クロモジをどうぞ」なんて言いませんか。そうです、楊枝のことをクロモジと呼ぶのはこの木を使っているからなんですね。

<参考サイト>
http://www.eonet.ne.jp/~zhenwu/honbun/zoukan-3128.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%82%B8
http://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/researcher/080827/
http://blog.goo.ne.jp/rgriggs1915/e/fc5bc2b4f44c0c0d13636e9f5c098164
http://www.kanshin.com/keyword/985459
http://www.geocities.jp/aaaself/syu--mi/ha-bu/kuromoji.html
http://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crude/041112/
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 「ゆめゆめ怠ってはなりません」

などというときに使う「ゆめゆめ」
あなたなら、どういう漢字を当てはめますか。


私は「夢夢、怠ってはなりません」
かなと思っていましたけれども

努努あるいは努々と書くんですね~。

「努」を
「ゆめ」と読むなんて知りませんでした。

うーん、さすが漢字、奥が深いわ。

今、仕事をしていてびっくりしたので、
思わず書き込んでしまいました。

あなたも
「え!?この漢字は、こんな読み方するの?」
というものを見付けたら教えてくださいね~(^^)。

ゆめ‐ゆめ
〔副〕
(ゆめ(努)を重ねた語。禁止・否定などの語を伴う)
必ず必ず。きっときっと。決して決して。源氏物語(槿)「もらし給ふなよ―」。「―疑うことなかれ」
つとめて。精出して。今昔物語集(12)「汝なほ―仏を念じ奉り、法花経を受持・読誦し奉るべし」
少しも。更々。ゆめにも。更に。平家物語(11)「別の意趣思ひ奉ること―候はず」
<参考:広辞苑五版>
日本新聞協会が
「『新常用漢字表(仮称)』に関する試案」への意見を提出しました。
http://www.pressnet.or.jp/


常用漢字だけの文字を使っている人って、あまりいないと思うんです。

通常、手紙やメールを出すとき「私」とか「誰」とか使ってますよね?もうちょっと日本語が表示しやすく読みやすくなってくれるといいなと期待しています。
所掌

「しょしょう」と読みます。
掌って手のひらとか、たなごころとか読みますね。でも、こんなところにも使われるんだ~と感じた漢字です。


社労士試験では事業所などは「所轄」を使いますが、住所などを対象にすると「管轄」になりますね。
その本来の意味は、「管轄」とは、国、地方公共団体などの機関が、その権限を行使することができる範囲を示す。管轄には、通常、土地管轄(権限の及ぶ区域の範囲)と事物管轄(事件の種類、内容などに応じて権限の及ぶ範囲)とがある。


土地管轄の及ぶ地域の範囲を、地域を主にしてみる場合に「管轄区域」という。社労士試験では「管轄区域」ですね。「管轄」と言ったら「労働者の住所の所在地」「所轄」とは、「管轄するところの」又は「ある機関とその管轄下にある機関との間の関係を表す場合」の用語です。「所轄」と言ったとき、その関係の濃淡の度に応じて「管理」「監督」とがあるが、権限の関係からみれば「管理」が最も強く、「監督」は「所轄」に近い。    

「所轄」とは、最も薄く、当該機関の独立性が強く、一応管轄する機関の下に属するという程度の場合の用語。社労士試験では「所轄区域」ですね。「所轄」と言ったら「会社の所在地」その他に、「所管」とは、行政事務などの管轄権の帰属関係を意味しています。「ある行政事務を管轄しているところの」「その管轄に属しているところの」という意味ですね。  

「所掌」とは、「所管」とほぼ同様の意味を表すが、主として「事務と結びつけた場合」に用いられる。

<参考文献>
http://blogs.yahoo.co.jp/take2bayasi/8446715.html
すしには「鮓」や「鮨」あるいは縁起を担いで「寿司」という文字を当てはめることもありますが、もともとは「酢し(すし)」という言葉に由来しています。

昔はびわ湖名産の鮒ずしのように5~6月ごろに鮒の腹を裂いて塩漬けにしてから飯と交互に樽へ入れて重石を置き、半年ないしは1~2年熟成させて飯からでた糖分や酸味を含んだ鮒を食べていました。

1800年代にはいると江戸は深川の松ずし、両国の与兵衛ずしなどというお店で「にぎりずし」が始まり、やや遅れて大阪にも移入されて戎橋(えびすばし)南の松ずしという店で江戸風にぎりずしが売られるようになりました。

江戸前ずしという言い方でおなじみの「江戸前」は江戸城前の海で捕れる鮮度の高い魚のことでしたが、その土地が埋め立てられるようになり、のちに江戸湾つまり現在の東京湾近海のことを称します。

今でこそ日本人が食べるすしネタの第1位はマグロですが、当時の江戸前ずしのネタにするには高価だし、脂肪分の多い魚より淡泊な味を好んでいた江戸市民に人気だった魚はアジ、コハダなどでした。

最も日本的である食べ物の「すし」にも外国語が使われています。
例えば、すし飯のことを「しゃり」といいますがこれはサンスクリット語の「sharira(シャリ)」の音訳です。仏陀の遺骨「仏舎利(ぶっしゃり)」のことですが、その形や色がよく似ているためこの名前が付けられたそうです。キリスト教でも救世主の骨を食べて神と一体化したいという思いがありました、仏教でも同じような思いがあったとしてもおかしくはないのかもしれません。

関西の押しずしで舟形の木枠に入れてつくる「ばってら」はポルトガルのボート「bateira(バッティラ)」、形が似ていますね。

ほかにも、すしの言葉には凝ったものが多くあります。
イカの足「げそ」は寄席や芝居小屋でいう下足(げそく)の略称、皆さんもご存じだと思いますが、伝説上の動物である河童の大好物といわれるキュウリを芯にした海苔巻きは「カッパ」です。さらに平貝などを2つに開いて載せたものを「鞍かけ」、これは馬に鞍をかけておく台に形が似ているからです。

すし職人さんが使う専門用語が一般の人も使うようになった紫、ガリ、おあいそなどがあります。紫は「おしょうゆ」、ガリは「生姜の甘酢漬け」、おあいそは会計をするということですね。

ここで注意しなければならないのは「おあいそ」これはお客がいうものではなくお店側が「お勘定書きなんて、愛想のないものをだしてすみませんね」と暗に言っているので、これを客側が使うと「愛想尽かして店を出ます」なんて逆の意味になってしまうんですね。私も外で食べるときよく使っていたのですが、これを知ってから少し考えるようになりました。

普段何げなく使っている言葉にもいろいろな歴史があるんだなと改めて感じました。こういうものを調べていくのも楽しいものです。

<参考文献>言葉の語源を知る解明講座
日本で多いといわれる名字の一つに「佐藤」があります。皆さんもご存じかもしれませんが、この名字はもとを正せば「藤原」からきているものです。

では、なぜそういわれているのでしょうか。

確かに藤原と佐藤を比べると「藤」の文字は同じです。しかし、なぜ「左」の文字が当てはまるのでしょうか、右でもいいじゃありませんか。もしかすると藤原さんの左にある家の人が使い始めた名字だったりして……。

ほかにも「藤」のつく名字を思い浮かべてみるとフィギアスケートの 安藤美姫、ドラマ『電車男』の伊藤淳史、ほかにも宇藤、江藤、加藤、木藤、女優の工藤、近藤、後藤、斎藤、志藤、須藤、武藤……。こうしてみると結構いっぱいありますね。

この名字の「藤」はもともと藤原氏の藤を表し、「藤」は藤原秀郷の居所である下野国佐野庄、現在の栃木県佐野市の「佐」を表しています。つまり「佐」野の「藤」原という意味です。

俣一節には秀郷の子孫が左右衛門尉の役職を受け継いで、その左にニンベンをつけて人を表したともいいます。いずれにしても佐藤の姓は祖先に藤原秀郷を持つ名族の子孫で、その印として「佐」を特につけたのです。

この秀郷は伝説によると近江の三上山のムカデを退治したとされ、さらに史実に寄れば、天慶3年(940年)平将門を討って関東一帯を支配したとされています。子孫に多くの鎮守府将軍を輩出し、「佐藤にあらずんば人にあらず」と大いに栄えました。

秀郷の子孫には近江の国の名を付けた藤原氏の「近藤」がでたり、子孫の基景が伊勢に移住したため「伊藤」も生まれました。ほかにも平安時代中期の武将、藤原利仁の流れをくむものも多くいました。利仁の子、叙用は伊勢神宮の斎宮神頭だったため「斎藤」となり、利仁の子孫、猛将則明は後藤太と号し、その孫、助明は後藤五郎と称し、加賀の藤原氏は「加藤」となりました。

「安藤」は藤原氏と関係の深い安倍氏が藤の姓を名乗るようになったことから生まれ「遠藤」は遠江守(とおとうみもり)の藤の姓を意味しているのです。

これだけみても、藤原氏の権力がどれほど波紋を広げていたのか感じられますね。


<参考文献>漢字の語源講座
柔らかい
状態がもとに戻る

軟らかい
状態がもとに戻らない

教学相長ず(きょうがくあいちょうず) 

教えることと学ぶことが、
うまくかみ合ってこそ、
知徳は助長発展するものである。

人を教えることは自分の修行にもなるということ。
 廻向発願心と申すは、
 これ別のこころにては候わず、

 わが所修の行を一向に廻向して、
 往生をねごうこころなり。

大胡の太郎実秀へつかわした返事のなかにある言葉で
廻向発願(えこうほつがん)と読むそうです。

意味は、みずから積んだ功徳(くどく)を、
ほかの人間や、動物、自然などに振り替えることで、
御浄土に生またいと願う心を起こすことです。

この言葉は「観無量寿経」の中にある
「三心を具する者は必ずかの国に生ず」からきています。

三心とは
至誠心、深心、廻向発願心の三つを指していて
この心を持ち続けることが
御浄土に生まれることにつながるという意味です。


参考URL:
http://www.yojijukugo.net/yojijukugo/%E5%BB%BB%E5%90%91%E7%99%BA%E9%A1%98.html
http://www.jodo.or.jp/onki800/message/indexTop.html

能知

のうち、と読みます。

このごろ宗教関連特に仏教に従事する方のお話しを聞く機会が増えてきました。そのなかで聞いた言葉です。全知全能なんていう言葉は聞いたことがあるのですが、能知は知りませんでした。

これも少し古くなってきて、使われなくなった言葉の一つかもしれませんね。そういうものをひろいあげていけたらいいなと思っています。


〔参考文献〕
1 仏語。知るもの。事物を知る主体。所知に対していう。
2 能力と知力。」
と出ていました。

「能」は「よくする」と読み、「所」は受身で「らる」と読みますので、能知者は「能く知る者」、所知者は「知らされる者・知られる者」で、先生と生徒のような意味か、認識する側(例えば人)と認識される側(例えば石ころ)のような意味ではないかと思います。
http://questionbox.jp.msn.com/qa637138.html?StatusCheck=ON

手元の書籍(哲学書)には「能知と所知」と言った形で記載されております。「能」は能動、「所」は所動(今日の用語では「受動」)ですから、文脈を考慮せずに言えば、「知る者」と「知られる者」知るという行為の主体(能知)と、その行為の対象となる客体(所知)ということでしょうか。
http://ziddy.japan.zdnet.com/qa1307160.html

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