言葉の語源
日常、耳にする言葉の意味を調べています。 日本語って知れば知るほど魅力のある言葉ですね。
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久しぶりの書き込みです。
このところ忙しかった~。実は私、大学生なんです、それも通信大学!
いつもは自宅で勉強しているのですが、スクーリングといって年に数回は大学へ通学しなければならないのです。
7月の末から時間調整のために仕事を早めに切り上げたり、ほかの学科の勉強を前倒しにしたり、スクーリングの予習をしたりと、いろいろなものがドット押し寄せてきて~。
行く前に会社にも「ちょっと私用で出掛けますので」とお断りを入れていたのに、スクーリングへ行って帰ってきた途端、もう仕事が入ってきたり、簡単かなと思っていたレポートが意外に難しく、参考文献を何冊も借りてきて乱読したり、
も~〆切に間に合わない! と焦っていたんですが、なんとか速達で出してきました!
これでいい点数がもらえないないはずはない?!
神さま仏様、荒神さま。どうか単位を下さいまし~~!
くれたら何でもしちゃう!だからお願い!!
このところ忙しかった~。実は私、大学生なんです、それも通信大学!
いつもは自宅で勉強しているのですが、スクーリングといって年に数回は大学へ通学しなければならないのです。
7月の末から時間調整のために仕事を早めに切り上げたり、ほかの学科の勉強を前倒しにしたり、スクーリングの予習をしたりと、いろいろなものがドット押し寄せてきて~。
行く前に会社にも「ちょっと私用で出掛けますので」とお断りを入れていたのに、スクーリングへ行って帰ってきた途端、もう仕事が入ってきたり、簡単かなと思っていたレポートが意外に難しく、参考文献を何冊も借りてきて乱読したり、
も~〆切に間に合わない! と焦っていたんですが、なんとか速達で出してきました!
これでいい点数がもらえないないはずはない?!
神さま仏様、荒神さま。どうか単位を下さいまし~~!
くれたら何でもしちゃう!だからお願い!!
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能知
のうち、と読みます。
このごろ宗教関連特に仏教に従事する方のお話しを聞く機会が増えてきました。そのなかで聞いた言葉です。全知全能なんていう言葉は聞いたことがあるのですが、能知は知りませんでした。
これも少し古くなってきて、使われなくなった言葉の一つかもしれませんね。そういうものをひろいあげていけたらいいなと思っています。
〔参考文献〕
1 仏語。知るもの。事物を知る主体。所知に対していう。
2 能力と知力。」
と出ていました。
「能」は「よくする」と読み、「所」は受身で「らる」と読みますので、能知者は「能く知る者」、所知者は「知らされる者・知られる者」で、先生と生徒のような意味か、認識する側(例えば人)と認識される側(例えば石ころ)のような意味ではないかと思います。
http://questionbox.jp.msn.com/qa637138.html?StatusCheck=ON
手元の書籍(哲学書)には「能知と所知」と言った形で記載されております。「能」は能動、「所」は所動(今日の用語では「受動」)ですから、文脈を考慮せずに言えば、「知る者」と「知られる者」知るという行為の主体(能知)と、その行為の対象となる客体(所知)ということでしょうか。
http://ziddy.japan.zdnet.com/qa1307160.html
千万億
「ちまお」と読み、人の名前です。
数の単位は一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億、万億、一兆、 十兆、百兆、千兆、万兆。このあとに京(けい)、垓(がい)、秭(し)、穰(じょう)、溝(こう)、澗(かん)正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)と続きます。
余談ですが、子どものころ読んでいた漫画のタイトルは「那由他」、超能力を持った主人公の名前と同じです。那由他には仏教用語で「極めて大きな数量」という意味もあります。平凡な一女子高生に那由他という名前を付けた原作者の思いの中には、何らかの意図が隠されていたのかもしれないと、考えても不思議ではありません。
「ちまお」と読み、人の名前です。
数の単位は一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億、万億、一兆、 十兆、百兆、千兆、万兆。このあとに京(けい)、垓(がい)、秭(し)、穰(じょう)、溝(こう)、澗(かん)正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)と続きます。
余談ですが、子どものころ読んでいた漫画のタイトルは「那由他」、超能力を持った主人公の名前と同じです。那由他には仏教用語で「極めて大きな数量」という意味もあります。平凡な一女子高生に那由他という名前を付けた原作者の思いの中には、何らかの意図が隠されていたのかもしれないと、考えても不思議ではありません。
以前、受けた認知心理学者である苫米地英人博士のセミナーでこのような質問があった「朝、目覚める1時間ほど前に、その日の一番悪いことであろう事を思ってしまうのはいいのでしょうか」と、それを受けて博士は「悪くはない。その日の朝、目覚める1時間ほど前に、その日の一番悪いことであろう事を思ってしまう人は、自分の望む要求に沿って生きてないということなのだよ。寝ているときはすべての社会洗脳が解けて本来の自分がでてくる。そのとき自我が欲することをやってないと悪夢を見て、いやなことを感じて後悔する。ということは望む人生を送っていないということなのだ」。実は私も質問者と同じような体験をしていた。
たいてい夢の登場人物は意地の悪いやつで、とてもひねくれた顔をしている。しかしこちらは悪口を聞くのも言うのも嫌いだから何も言い返せない、あとには不愉快な感情だけが残りとても目覚めの悪い朝を幾度となく迎えていた。
しかし、ここ数カ月はその悪夢を見ていないのは、なぜだろうか。マズローの欲求段階説というものがある。一つの動機が充足されたあとに、ほかのどの動機が行動を支配するのかは段階的に決定され、基本的な動機が充足されなければ、高次の動機が行動を支配することはないという。(橋本憲尚編著『心の理解を求めて』佛教大学)
まず最下位は人が生きていく上で欠かせない基本的な欲求であるが、空気や水は満たされていた。では睡眠や食べ物はどうだろうか。
睡眠もやはり邪魔されるということは記憶にないが、食べ物は好きなだけ食べていたというより、残さないで食べることが母を喜ばすことにつながるという感覚がある。
私には姉が一人いる。母は長女をとても好いていたが、私には笑顔をあまり見せなかった。小学校にあがってから母は私にこう言った。「おまえを生んだのは姉がひとりっ子ではかわいそうだから生んだのだ。ほんとうはおろしたかった」私は望まれずにこの世に生を受けたのだけれども、幼いころはそんなことを考える知恵もなく、ただ母の笑顔を見ることだけを考えていた。
舞台劇に「森は生きている」というお話がある。大晦日の夜、年若いわがままな女王が「マツユキソウを見つけた者には籠いっぱいの金貨を与える」とおふれを出すことから物語は始まる。
雪が積もり、森の動物は冬眠に入る12月なのに、春に咲くマツユキソウが咲いているはずはない。けれども、お母さんは末の娘に森へ探しに行けと言う。こんな寒い夜に一人ではいやだというと「こんな吹雪の晩にかわいいお姉ちゃんを外に出せるはずがないだろう。おまえだけで行くんだよ」と花籠一つとストールを持たせてうちから追い出した。始めて見たとき、この情景はうちの母親と姉、そして私の立場とまったく同じだと、直感した。
姉は小さいころからなんでも優遇されて育ってきた。ご飯の量はみんな同じだけれども「今日ハンバーグが食べたい」と姉が一言言えば必ず夕方はハンバーグが出た。私が「カレーを食べたい」といっても聞き入れてくれたことはない。
小学校にあがって自分一人の勉強机があてがわれた。姉は整理整頓が下手で、いつも机の上が散らかり放題であったが怒られるのはなぜか私である。父はよく言った「おまえはお姉ちゃんが大事じゃないのか。姉妹は大切にしなきゃいけない、だからお姉ちゃんができなかったらおまえがやるんだ」そういわれていたので私が二人の勉強部屋の掃除と姉の机の上を掃除していた。今から思えば、常に家族のために尽くしてきた、そうするようにしつけられてきた。どんなことも、はいはいと素直に聞き、学校から帰宅したら部屋に掃除機をかけ、夫婦共稼ぎなので晩ごはんの用意をする。週末は、たらいを出して家族全員の汚れた靴下を午前中いっぱい、多いときは午後3時すぎまでかかって洗うのが仕事だった。物心ついたころから、しばしば思考停止したのを覚えている。
半面、姉は何をしていたのか記憶にはない。洗濯をするでもなく、食事の下ごしらえをするでもなく、掃除機をかけるところなどは見たことがない。食べるものもわがままで、あれはいやだ、これを食べたいとかなりぜいたくをしていた。私は絶対に母の作る食事に対して不平不満を言ったことはない、なんでも箸を口に運んで、どんなものでも笑顔でおいしいと言っていた。食事だけが唯一、姉に勝てるものだったのだ。どんなにおなかがいっぱいでも無理して食べた、笑顔で食べた。これを食べたらほめてもらえる、お母さんに喜んでもらえると本気で思っていた。
けれども、偉いよとほめられて終わりである。次の瞬間にはもう姉に笑顔を向けるのだ。しかし唯一、姉に勝てる食欲を手放すことはできなかった。これがなくなれば、今よりもっと笑顔が見られなくなる、それは私にとって絶望でしかなかった。いつしか、その食事方法に慣れていき成人して結婚してからもそういう生活が続いていた。
ある日、主人の両親と義妹と一緒に食卓を囲んでいたとき義妹が「もうおなかがいっぱいになっちゃったから、これ、食べてくれない?」と言われた。私はもう十分食べたけれども義妹と仲良くなりたかったので、無理をして食べた。それを見ていた義妹がクスクスと笑いながら言った「ほんとうにいくらでも食べるんだね」。
その言葉を聞いて、はたと考えた。こんなにおなかがいっぱいなのに、なぜ食べなければならないのだろうか。違う日に、また両親と義妹と食事をする機会があったので、今度は私から義妹へ「おなかがいっぱいになっちゃったから、これ食べてくれる?」すると、義妹は「私はもう欲しくないからいらない」と断った、そのとき始めて自分が満腹だったら断ってもいいんだ、断ることは悪いことではないのだと始めて知った。
また違う日、買い物の途中で大きなトラックにひかれそうになったが、すんでのところでぶつからずに事なきを得た。帰宅しても黙っていたが、近所の人が目撃していたらしくそれを聞かされた義母がこう言った「大丈夫かい、ケガはなかった?」私は涙が出た。
そんなふうに実母から言われたことがなかったからだ。こんな私の身を案じて心配してくれる人など今までにいなかった。
その日から私は自分を少しずつコントロールするようになった。子供を産み、家族が得られたことから家庭生活全般について、どのように家事を進めていけばいいか考えた。
本も読んだ、炊事、洗濯、掃除を効率よくこなす術も身に付けた。それからパソコンを使い、インターネットを接続して仕事をするようになったけれども能力の限界を知る、通信講座や読書をすることだけでは得られない学力を底上げする必要があると痛切に感じた。
そんなときに佛教大学に出会った「へだてなく学びの楽しさを」その一言で決定した、新たな学校生活の始まりである。不思議なことに決めてからは思考停止や、前述の悪夢を見ることはパタリとなくなった。そんなことにかまっている余裕がないほど忙しくなったせいだろうか。
内発的動機づけは(省略)「たのしいからやる。おもしろいからやる」というように行動自体が目的化している。(速水敏彦『自己形成の心理』金子書房)私の場合、知的好奇心によるところが大きい、もちろん評価をいただければうれしいけれども、今はその行動こそが、私への報酬となっているのであった。
たいてい夢の登場人物は意地の悪いやつで、とてもひねくれた顔をしている。しかしこちらは悪口を聞くのも言うのも嫌いだから何も言い返せない、あとには不愉快な感情だけが残りとても目覚めの悪い朝を幾度となく迎えていた。
しかし、ここ数カ月はその悪夢を見ていないのは、なぜだろうか。マズローの欲求段階説というものがある。一つの動機が充足されたあとに、ほかのどの動機が行動を支配するのかは段階的に決定され、基本的な動機が充足されなければ、高次の動機が行動を支配することはないという。(橋本憲尚編著『心の理解を求めて』佛教大学)
まず最下位は人が生きていく上で欠かせない基本的な欲求であるが、空気や水は満たされていた。では睡眠や食べ物はどうだろうか。
睡眠もやはり邪魔されるということは記憶にないが、食べ物は好きなだけ食べていたというより、残さないで食べることが母を喜ばすことにつながるという感覚がある。
私には姉が一人いる。母は長女をとても好いていたが、私には笑顔をあまり見せなかった。小学校にあがってから母は私にこう言った。「おまえを生んだのは姉がひとりっ子ではかわいそうだから生んだのだ。ほんとうはおろしたかった」私は望まれずにこの世に生を受けたのだけれども、幼いころはそんなことを考える知恵もなく、ただ母の笑顔を見ることだけを考えていた。
舞台劇に「森は生きている」というお話がある。大晦日の夜、年若いわがままな女王が「マツユキソウを見つけた者には籠いっぱいの金貨を与える」とおふれを出すことから物語は始まる。
雪が積もり、森の動物は冬眠に入る12月なのに、春に咲くマツユキソウが咲いているはずはない。けれども、お母さんは末の娘に森へ探しに行けと言う。こんな寒い夜に一人ではいやだというと「こんな吹雪の晩にかわいいお姉ちゃんを外に出せるはずがないだろう。おまえだけで行くんだよ」と花籠一つとストールを持たせてうちから追い出した。始めて見たとき、この情景はうちの母親と姉、そして私の立場とまったく同じだと、直感した。
姉は小さいころからなんでも優遇されて育ってきた。ご飯の量はみんな同じだけれども「今日ハンバーグが食べたい」と姉が一言言えば必ず夕方はハンバーグが出た。私が「カレーを食べたい」といっても聞き入れてくれたことはない。
小学校にあがって自分一人の勉強机があてがわれた。姉は整理整頓が下手で、いつも机の上が散らかり放題であったが怒られるのはなぜか私である。父はよく言った「おまえはお姉ちゃんが大事じゃないのか。姉妹は大切にしなきゃいけない、だからお姉ちゃんができなかったらおまえがやるんだ」そういわれていたので私が二人の勉強部屋の掃除と姉の机の上を掃除していた。今から思えば、常に家族のために尽くしてきた、そうするようにしつけられてきた。どんなことも、はいはいと素直に聞き、学校から帰宅したら部屋に掃除機をかけ、夫婦共稼ぎなので晩ごはんの用意をする。週末は、たらいを出して家族全員の汚れた靴下を午前中いっぱい、多いときは午後3時すぎまでかかって洗うのが仕事だった。物心ついたころから、しばしば思考停止したのを覚えている。
半面、姉は何をしていたのか記憶にはない。洗濯をするでもなく、食事の下ごしらえをするでもなく、掃除機をかけるところなどは見たことがない。食べるものもわがままで、あれはいやだ、これを食べたいとかなりぜいたくをしていた。私は絶対に母の作る食事に対して不平不満を言ったことはない、なんでも箸を口に運んで、どんなものでも笑顔でおいしいと言っていた。食事だけが唯一、姉に勝てるものだったのだ。どんなにおなかがいっぱいでも無理して食べた、笑顔で食べた。これを食べたらほめてもらえる、お母さんに喜んでもらえると本気で思っていた。
けれども、偉いよとほめられて終わりである。次の瞬間にはもう姉に笑顔を向けるのだ。しかし唯一、姉に勝てる食欲を手放すことはできなかった。これがなくなれば、今よりもっと笑顔が見られなくなる、それは私にとって絶望でしかなかった。いつしか、その食事方法に慣れていき成人して結婚してからもそういう生活が続いていた。
ある日、主人の両親と義妹と一緒に食卓を囲んでいたとき義妹が「もうおなかがいっぱいになっちゃったから、これ、食べてくれない?」と言われた。私はもう十分食べたけれども義妹と仲良くなりたかったので、無理をして食べた。それを見ていた義妹がクスクスと笑いながら言った「ほんとうにいくらでも食べるんだね」。
その言葉を聞いて、はたと考えた。こんなにおなかがいっぱいなのに、なぜ食べなければならないのだろうか。違う日に、また両親と義妹と食事をする機会があったので、今度は私から義妹へ「おなかがいっぱいになっちゃったから、これ食べてくれる?」すると、義妹は「私はもう欲しくないからいらない」と断った、そのとき始めて自分が満腹だったら断ってもいいんだ、断ることは悪いことではないのだと始めて知った。
また違う日、買い物の途中で大きなトラックにひかれそうになったが、すんでのところでぶつからずに事なきを得た。帰宅しても黙っていたが、近所の人が目撃していたらしくそれを聞かされた義母がこう言った「大丈夫かい、ケガはなかった?」私は涙が出た。
そんなふうに実母から言われたことがなかったからだ。こんな私の身を案じて心配してくれる人など今までにいなかった。
その日から私は自分を少しずつコントロールするようになった。子供を産み、家族が得られたことから家庭生活全般について、どのように家事を進めていけばいいか考えた。
本も読んだ、炊事、洗濯、掃除を効率よくこなす術も身に付けた。それからパソコンを使い、インターネットを接続して仕事をするようになったけれども能力の限界を知る、通信講座や読書をすることだけでは得られない学力を底上げする必要があると痛切に感じた。
そんなときに佛教大学に出会った「へだてなく学びの楽しさを」その一言で決定した、新たな学校生活の始まりである。不思議なことに決めてからは思考停止や、前述の悪夢を見ることはパタリとなくなった。そんなことにかまっている余裕がないほど忙しくなったせいだろうか。
内発的動機づけは(省略)「たのしいからやる。おもしろいからやる」というように行動自体が目的化している。(速水敏彦『自己形成の心理』金子書房)私の場合、知的好奇心によるところが大きい、もちろん評価をいただければうれしいけれども、今はその行動こそが、私への報酬となっているのであった。
数年前、東京の郊外に引っ越した。それまで住んでいた23区内とは大違いな空気のきれいさだ。今までは少し歩いただけで息切れがして胸が痛くなるけれども、ここではそんな状態になったことはない。それだけ空気がきれいなのだと感じるとともに、もっとこの地方を知りたいと考えるようになってきた。
なぜ空気がきれいなのだろうか、それを語る前に、日本の首都、東京がある関東平野の成り立ちから説明する。
昔の多摩川は現在より北側を西から東へと流れていた。青梅市付近を扇頂部にしてたびたび水路を変え浸食と堆積を繰り返しながら扇状に広がる武蔵野台地を形成した。(社団法人学術・文化・産業ネットワーク多摩『タマケン。知のミュージアム多摩・武蔵野検定公式テキスト』ダイヤモンド社)
葦やススキが生い茂るだけの原野だった地域は飲料水や農業用水が乏しいため深く掘らねば確保できず、そして深く掘った井戸から今度は水を汲み出さなければならない。まいまいの井という、すり鉢の底にある井戸をからぐるぐると回り水を運ぶ方法が工夫されている。飲料水一つとってもすべて人の力だけで生み出さねばならなかった。江戸とその周辺の農村は生産されたものを単に消費するだけではなく、かまど灰が農村の肥料に、古い金物は農具の原材料となるとように生産、消費、また生産のサイクルの輪で結ばれていた。無駄とよべるものがなかったといえばそれまでだが、そうした生活からものを大切にして空気や水をきれいにしようという考えが根底にあるのだろう。
現代はどうなのか。雨はアスファルトの上を流れて下水に流れ込む、地下水として残ったものも工業用水として組み上げ汚染し、そして下水へ。消費によって生まれた廃棄物は山となり、自治体は処理に頭を抱えている。(尾河直太郎『江戸・水の生活』新草出版)武蔵野、多摩地区における今後の課題は、今ある自然を保全して動植物の生命力を強くすることである。
2008年10月26日には記念すべき多摩・武蔵野検定第1回が実施される。新参者にすぎないけれども武蔵野・多摩地域を知ることで、いつか問題の糸口をつかみたいと考えている私は受験することにした。
講義で取り上げた都市「江戸」について、都市発達の特色と課題
江戸開府をしてから、日本のみならず世界でも珍しい、家康の考えた「の」の字の拡張計画は無限ともいえる広がりを見せる。
50年以上も建築工事を続けていた江戸の町はある意味、古代エジプトのピラミッド建築に通じるところがあるのではないだろうか。関東北部の山岳地帯や静岡県の富士川上流、長野県の木曽川上流から材木を流し、石垣は伊豆諸島から切り出し各地から呼び寄せた外様大名が船で運んできた。修羅と呼ばれるソリのすべりをよくするため昆布をしく、南蛮ふうの変わった衣装を着た音頭取りが旗を立て鉦や太鼓を打ち鳴らして1,000人、3,000人ときには5,000人の人夫たちが江戸城まで大石を運ぶ。(内藤昌『江戸の町(上)』草思社)
江戸が開府して50年以上も都市の建設工事は続くので、江戸は荒くれた男性ばかりで極端に女性の少ない町であった。明暦の大火、天守炎上となっても素晴らしい復興を遂げたのは彼らのおかげだ。けれども現代社会ではそのような人はほんのわずかに過ぎない、自分が住んでいる町をよりよい町にすることは、やはり住民の生の声こそ必要だろう。東京における今後の課題はどうしたら町づくりのイニシアチブを市民が取り行動できるかを考えることである。
なぜ空気がきれいなのだろうか、それを語る前に、日本の首都、東京がある関東平野の成り立ちから説明する。
昔の多摩川は現在より北側を西から東へと流れていた。青梅市付近を扇頂部にしてたびたび水路を変え浸食と堆積を繰り返しながら扇状に広がる武蔵野台地を形成した。(社団法人学術・文化・産業ネットワーク多摩『タマケン。知のミュージアム多摩・武蔵野検定公式テキスト』ダイヤモンド社)
葦やススキが生い茂るだけの原野だった地域は飲料水や農業用水が乏しいため深く掘らねば確保できず、そして深く掘った井戸から今度は水を汲み出さなければならない。まいまいの井という、すり鉢の底にある井戸をからぐるぐると回り水を運ぶ方法が工夫されている。飲料水一つとってもすべて人の力だけで生み出さねばならなかった。江戸とその周辺の農村は生産されたものを単に消費するだけではなく、かまど灰が農村の肥料に、古い金物は農具の原材料となるとように生産、消費、また生産のサイクルの輪で結ばれていた。無駄とよべるものがなかったといえばそれまでだが、そうした生活からものを大切にして空気や水をきれいにしようという考えが根底にあるのだろう。
現代はどうなのか。雨はアスファルトの上を流れて下水に流れ込む、地下水として残ったものも工業用水として組み上げ汚染し、そして下水へ。消費によって生まれた廃棄物は山となり、自治体は処理に頭を抱えている。(尾河直太郎『江戸・水の生活』新草出版)武蔵野、多摩地区における今後の課題は、今ある自然を保全して動植物の生命力を強くすることである。
2008年10月26日には記念すべき多摩・武蔵野検定第1回が実施される。新参者にすぎないけれども武蔵野・多摩地域を知ることで、いつか問題の糸口をつかみたいと考えている私は受験することにした。
講義で取り上げた都市「江戸」について、都市発達の特色と課題
江戸開府をしてから、日本のみならず世界でも珍しい、家康の考えた「の」の字の拡張計画は無限ともいえる広がりを見せる。
50年以上も建築工事を続けていた江戸の町はある意味、古代エジプトのピラミッド建築に通じるところがあるのではないだろうか。関東北部の山岳地帯や静岡県の富士川上流、長野県の木曽川上流から材木を流し、石垣は伊豆諸島から切り出し各地から呼び寄せた外様大名が船で運んできた。修羅と呼ばれるソリのすべりをよくするため昆布をしく、南蛮ふうの変わった衣装を着た音頭取りが旗を立て鉦や太鼓を打ち鳴らして1,000人、3,000人ときには5,000人の人夫たちが江戸城まで大石を運ぶ。(内藤昌『江戸の町(上)』草思社)
江戸が開府して50年以上も都市の建設工事は続くので、江戸は荒くれた男性ばかりで極端に女性の少ない町であった。明暦の大火、天守炎上となっても素晴らしい復興を遂げたのは彼らのおかげだ。けれども現代社会ではそのような人はほんのわずかに過ぎない、自分が住んでいる町をよりよい町にすることは、やはり住民の生の声こそ必要だろう。東京における今後の課題はどうしたら町づくりのイニシアチブを市民が取り行動できるかを考えることである。
京都議定書は1997年に採択され、2005年2月16日に発効。160カ国の合意が得られ温室効果ガス削減に向けて、法的拘束力を持った明確なシグナルが出されたことは喜ばしいことだが、採択されてからの11年間、日本は何をしてきたのだろうか。数年前、機会があり企業になぜ安全な水にして流さないのかと聞くと「やればコストがかかる、困るのは消費者だよ」という答が返ってきた。魚も住めないほど川を汚したのは、ほかならぬ自分自身なのかと驚愕した。企業は商品を作り市場へ販売する、そして早く捨てさせることで利益を得てきた。行政は躊躇せず捨てればいいのさとばかりにプラスチックも燃やせるごみ焼却施設を増設している。
そんな生活にドップリ浸かっている市民が世界の環境問題に対してどう対処できるのだろうか。新幹線車内で読んだ雑誌WEDGEには次のような一文が載っていた。中国にあるネオジム鉄ボロンというHEV必須の鉱石採掘現場についての記事である。
「人件費が上がりコストが合わなくなってきた。そこで考え出されたのが直接採掘現場に硫酸をかけて抽出するといった荒っぽい生産方式である。(中略)つまり998トンの汚染された土砂は再処理のないまま川に廃棄されるのである」中国すべての川は環境問題解決のために汚染されている。
これこそ環境問題のシフト④の「代替的な方法によって生じる問題のシフト」ではないだろうか。
ハイテク工場から流される塩素系炭化水素などは粘度が低くコンクリートも透過する。あるものは揮発性が高く土壌内の空気を、あるものは地下水路に達して地下水を汚染する。(稲田勝『環境リテラシー』リベルタ出版)土地土壌センターでは土壌汚染対策試算を13兆円と出した、商品をつくる前に莫大な経費をかける企業は皆無に等しい。仏をつくって魂入れずとなっているのかと思うと京都議定書が採択される27年前は環境権が提唱されていた。「人たるもの誰もが、健康や福祉を犯す要因に災いされない環境を享受する権利と、将来の世代への現在の世代が残すべき遺産であるとことの、自然美を含めた自然資源にあずかる権利」が基本的人権の一つとして確立されるべきであるとされている。(稲田勝『環境リテラシー』リベルタ出版)
アメリカの調査会社Harris Interactive社の調べでは、2006年の欧州においてディーゼルエンジン車の人気が高い、燃費効率がよくCO2排出量が少ないエンジンを搭載する自動車を既に知っているのである。日本では石原都知事のパフォーマンスにより支持率が低迷していたが、2009年には日産、三菱、ホンダから販売が予定さる。中でもホンダはディーゼル車だけではなくハイブリット車にも力を注いでいるのだ。2006年9月、広州で第二自動車工場を完成させたときのこと「記念式典には地元政府関係者や広州汽車集団の幹部らが多数参列した。あいさつにたったホンダ社長の福井威夫氏は、新工場が地球環境や作業効率に配慮した『グリーンファクトリー』であることを誇らしげに披露した。水のフル循環システムを採用し、工場用水の外部排出をゼロとしたのだ」(長谷川洋三『クリーンカー・ウォーズ』中央論新社)
東京は武蔵野に流れる多摩川の地名は、川の砂利がたまのようにきれいだからついたのだといわれる。おりしも広州に同じ意味を持つ「たま」の文字がついた「珠江(しゅうこう)」という川がある。この川を始め、いつか日本の技術によって生まれ変わった川の畔で「珠江という川はたまのようにきれいだから、その名前がついたんだよ」といわれる日が来ることを期待している。
そんな生活にドップリ浸かっている市民が世界の環境問題に対してどう対処できるのだろうか。新幹線車内で読んだ雑誌WEDGEには次のような一文が載っていた。中国にあるネオジム鉄ボロンというHEV必須の鉱石採掘現場についての記事である。
「人件費が上がりコストが合わなくなってきた。そこで考え出されたのが直接採掘現場に硫酸をかけて抽出するといった荒っぽい生産方式である。(中略)つまり998トンの汚染された土砂は再処理のないまま川に廃棄されるのである」中国すべての川は環境問題解決のために汚染されている。
これこそ環境問題のシフト④の「代替的な方法によって生じる問題のシフト」ではないだろうか。
ハイテク工場から流される塩素系炭化水素などは粘度が低くコンクリートも透過する。あるものは揮発性が高く土壌内の空気を、あるものは地下水路に達して地下水を汚染する。(稲田勝『環境リテラシー』リベルタ出版)土地土壌センターでは土壌汚染対策試算を13兆円と出した、商品をつくる前に莫大な経費をかける企業は皆無に等しい。仏をつくって魂入れずとなっているのかと思うと京都議定書が採択される27年前は環境権が提唱されていた。「人たるもの誰もが、健康や福祉を犯す要因に災いされない環境を享受する権利と、将来の世代への現在の世代が残すべき遺産であるとことの、自然美を含めた自然資源にあずかる権利」が基本的人権の一つとして確立されるべきであるとされている。(稲田勝『環境リテラシー』リベルタ出版)
アメリカの調査会社Harris Interactive社の調べでは、2006年の欧州においてディーゼルエンジン車の人気が高い、燃費効率がよくCO2排出量が少ないエンジンを搭載する自動車を既に知っているのである。日本では石原都知事のパフォーマンスにより支持率が低迷していたが、2009年には日産、三菱、ホンダから販売が予定さる。中でもホンダはディーゼル車だけではなくハイブリット車にも力を注いでいるのだ。2006年9月、広州で第二自動車工場を完成させたときのこと「記念式典には地元政府関係者や広州汽車集団の幹部らが多数参列した。あいさつにたったホンダ社長の福井威夫氏は、新工場が地球環境や作業効率に配慮した『グリーンファクトリー』であることを誇らしげに披露した。水のフル循環システムを採用し、工場用水の外部排出をゼロとしたのだ」(長谷川洋三『クリーンカー・ウォーズ』中央論新社)
東京は武蔵野に流れる多摩川の地名は、川の砂利がたまのようにきれいだからついたのだといわれる。おりしも広州に同じ意味を持つ「たま」の文字がついた「珠江(しゅうこう)」という川がある。この川を始め、いつか日本の技術によって生まれ変わった川の畔で「珠江という川はたまのようにきれいだから、その名前がついたんだよ」といわれる日が来ることを期待している。
テレビドラマを見ていると美男の俳優が主役をしています。昔からいい男の代名詞として「二枚目」といいますけれども、いったいどこからきた言葉でしょうか。
これは歌舞伎のしきたりからきた言葉なのです。昔は芝居小屋の正面に客寄せを目的とした絵看板を飾りました。一枚目は書き出し、二枚目は主役を演じる男前の訳者の絵を飾りました。
三枚目は道化役、そのあとは中軸、敵役、二枚目の敵役、実悪(じつあく)の謀反人、というように八枚目まで続きます。このうち二枚目、三枚目が一般に広まり現代まで残ったというわけです。
時には四枚目の中軸に女形、五枚目に子役、七枚目に老け役として御芝居に重要な役割をもたせる人になります。ちなみに八枚目は座頭(ざがしら)と呼ばれる座長さんです。
今は一億総タレント時代。正統的な二枚目よりも面白く、個性的な三枚目がもてはやされることも多いようです。
これは歌舞伎のしきたりからきた言葉なのです。昔は芝居小屋の正面に客寄せを目的とした絵看板を飾りました。一枚目は書き出し、二枚目は主役を演じる男前の訳者の絵を飾りました。
三枚目は道化役、そのあとは中軸、敵役、二枚目の敵役、実悪(じつあく)の謀反人、というように八枚目まで続きます。このうち二枚目、三枚目が一般に広まり現代まで残ったというわけです。
時には四枚目の中軸に女形、五枚目に子役、七枚目に老け役として御芝居に重要な役割をもたせる人になります。ちなみに八枚目は座頭(ざがしら)と呼ばれる座長さんです。
今は一億総タレント時代。正統的な二枚目よりも面白く、個性的な三枚目がもてはやされることも多いようです。
勇気とは恐れないことではなく、
恐れよりも大切なことがあると判断できることだ。
勇者の命は短いが、慎重なだけでは生きている価値がない。
これからは君が何者であるか、
何者になれるかの間を旅することになる。
どう生きるか、どう生きたいかを見定めなさい。
それからヘレンを私は愛している。今も愛している。
16歳の誕生日おめでとう。ミア。
『メリー・ポピンズ』のジュリー・アンドリュースと『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイが出演する『プリティ・プリンセス』の一説です。
主人公のミアが王位継承を断った後、逃げようと荷作りをしているときに父親からの手紙を見つけてたんです。そして神の勇気とは何かということが分かったんですね。
淡々と話が進み、やや盛りあがりに欠ける感がと思っていましたが、クライマックスでは見事にハッピーエンド。リムジンの運転手やワルツのレッスンをするヘクター・エリゾンドもいい雰囲気を出しています。
みゅーじんの小曽根真(おぞね まこと)さんの言葉です。
ジャズピアニストでもありクラシックピアニストです。父親がピアニストなので、必然的に真さんも同じ道を進もうとしますが、幼年5歳で早くも挫折。しかしあるジャズピアニストとの出会いが彼を変えました。
今ではクラシック、ジャズ、ボサノバなどなどジャンルを超えて活躍中です。
ジャズピアニストとして有名な小曽根さんは、30歳になってからクラシックピアノの楽しさを知り、改めて習い始めます。
できないことは楽しい、自分のボキャブラリーが増える。しんどいこともあるけれども、克服する難しさもあるけれども、それも楽しんでいる。
融合ではなく共存を。融合はとけあって、もとがなくなってしまう。そうではなく、相手を認めた上で自分がいるということなのです。
小曽根さんの言葉は経験に裏付けられた頼もしい勇気付けられる言葉でした。
ジャズピアニストでもありクラシックピアニストです。父親がピアニストなので、必然的に真さんも同じ道を進もうとしますが、幼年5歳で早くも挫折。しかしあるジャズピアニストとの出会いが彼を変えました。
今ではクラシック、ジャズ、ボサノバなどなどジャンルを超えて活躍中です。
ジャズピアニストとして有名な小曽根さんは、30歳になってからクラシックピアノの楽しさを知り、改めて習い始めます。
できないことは楽しい、自分のボキャブラリーが増える。しんどいこともあるけれども、克服する難しさもあるけれども、それも楽しんでいる。
融合ではなく共存を。融合はとけあって、もとがなくなってしまう。そうではなく、相手を認めた上で自分がいるということなのです。
小曽根さんの言葉は経験に裏付けられた頼もしい勇気付けられる言葉でした。
主人のところに一通のメールが届きました。中国茶好きが高じてネットショップを営むことになったシオジーさんからです。
ガスミュージアムで友達がマイ箸づくりのイベントをするんだけれども、釣りをする日と重なり行けなくなってしまった、だれか代わりになる人はいないかと探していたのでした。
幸いにも(?)うちから歩いて15分ぐらいにあるし箸をどうやって作るのかも興味があったし土曜日なので行ってみようか、ということになったのです。
マイ箸とは携帯用のおはしのこと外食するときに使うんです。欧米では食事に銀のフォークやナイフを、東南アジアでは銀の箸、でも日本では割り箸を使っています。
その生産は中国国内の木を伐採して作られます。日本人が年間使う箸は一人平均200膳、2億膳以上の割り箸を使うために木を切り落とされて、中国では砂漠化しつつあるんですね。春先に黄砂が日本へ来る一因にもなっています。
地球温暖化が叫ばれている今少しでも個人にできることがあればと思いました。そして当日がやってきました。定員は20名、そんなに集まるのかな?私たちだけだったらどうしようか?
心の隅っこで考えながら出掛けたガスミュージアム早めに到着してしまった。あれ、博物館前の庭には輪になって15人ほどの人がいます。もしかしたらイベント参加者かなと期待をしたのですがお年寄りが集まって写生会をしているようでみんな思い思いに散らばってデッサンを始めました。
なんだあとちょっとガッカリしながらイベント会場のくらし館に入りました。予想に反していっぱいの人が受け付けに並んでいます。まあ、そんなに興味のある人がいたんだちょっとうれしくなっちゃいましたよ。
主催者は静岡のスローライフサークル「slow style」黒ぶち眼鏡のお兄さん、杉山さんが講師です。
まずは箸の長さを決めることから始まります。親指と人さし指を直角に広げた1.5倍の長さの箸を選び
目の粗いヤスリで角を取っていきます。一カ所だけこすっているとそこだけ削れてしまうので注意が必要です。
ちょっと気を抜くといびつになっちゃう~。あっちを削ればこっちが気になる、こっちを削ればあっちが気になる、
「いびつでもいいんですよ、それがあなたの箸ですから」先生~そんなこと言わないでください、できれば形がきれいなのがいい何回も先生に見せてやっとOKが出たら、こんどは目の細かいヤスリで仕上げに入ります。
このときしっかりやすりをかけるとつるつるになるそうです。ちなみに先生の作ったお箸をさわらせていただいたら、ホント!つるつるすべすべです!!こんな肌触りがいいように誰でもできるんですか~?!
「できます」
先生の言葉に励まされて、ししこしと目の細かいヤスリをかけ続けました。
み 「せんせ~こんな感じでいいでしょうか?」
せ 「あ。いいね。うん。いいよ。こんな感じ。じゃああと10分ね」
ひょ~。あと10分かあ、頑張るぞぉぉぉ……。こすり続けて一時間、やっとOKが。
できあがったら水分が染み込みにくいように蜜蝋を塗り込めます。はしの頭と先が欠けやすいので十分に染み込ませて完成、おそばが食べやすいように角を残してあります☆
箸袋は杉山さんのサークルの方のお手製です、裏地も付いててしっかりしてるこれなら外へ持って行っても恥ずかしくないですよね。きれいな袋に包まれてお箸もうれしそうです☆。
終わったあとは、博物館内の見学です。ガスミュージアムは東京ガス主催の博物館、120年前のガスを使ったランプとか装飾品の数々、ガス灯館の2階にあるギャラリーは
散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする
明治時代の錦絵が華やかかりし日々を彷彿させてくれます太陽が落ちると真っ暗だった街に灯りが付きまぶしいばかりの光がこぼれる店先、車の行き交う吾妻橋、銀座座通りは桜と楓の花が交互に並んでいたそうです。ご存じでしたか? 私は知りませんでしたよ(^^)。
ecoのマイ箸と博物館も見学もおまけについて、満足な一日でした。
ガスミュージアムで友達がマイ箸づくりのイベントをするんだけれども、釣りをする日と重なり行けなくなってしまった、だれか代わりになる人はいないかと探していたのでした。
幸いにも(?)うちから歩いて15分ぐらいにあるし箸をどうやって作るのかも興味があったし土曜日なので行ってみようか、ということになったのです。
マイ箸とは携帯用のおはしのこと外食するときに使うんです。欧米では食事に銀のフォークやナイフを、東南アジアでは銀の箸、でも日本では割り箸を使っています。
その生産は中国国内の木を伐採して作られます。日本人が年間使う箸は一人平均200膳、2億膳以上の割り箸を使うために木を切り落とされて、中国では砂漠化しつつあるんですね。春先に黄砂が日本へ来る一因にもなっています。
地球温暖化が叫ばれている今少しでも個人にできることがあればと思いました。そして当日がやってきました。定員は20名、そんなに集まるのかな?私たちだけだったらどうしようか?
心の隅っこで考えながら出掛けたガスミュージアム早めに到着してしまった。あれ、博物館前の庭には輪になって15人ほどの人がいます。もしかしたらイベント参加者かなと期待をしたのですがお年寄りが集まって写生会をしているようでみんな思い思いに散らばってデッサンを始めました。
なんだあとちょっとガッカリしながらイベント会場のくらし館に入りました。予想に反していっぱいの人が受け付けに並んでいます。まあ、そんなに興味のある人がいたんだちょっとうれしくなっちゃいましたよ。
主催者は静岡のスローライフサークル「slow style」黒ぶち眼鏡のお兄さん、杉山さんが講師です。
まずは箸の長さを決めることから始まります。親指と人さし指を直角に広げた1.5倍の長さの箸を選び
目の粗いヤスリで角を取っていきます。一カ所だけこすっているとそこだけ削れてしまうので注意が必要です。
ちょっと気を抜くといびつになっちゃう~。あっちを削ればこっちが気になる、こっちを削ればあっちが気になる、
「いびつでもいいんですよ、それがあなたの箸ですから」先生~そんなこと言わないでください、できれば形がきれいなのがいい何回も先生に見せてやっとOKが出たら、こんどは目の細かいヤスリで仕上げに入ります。
このときしっかりやすりをかけるとつるつるになるそうです。ちなみに先生の作ったお箸をさわらせていただいたら、ホント!つるつるすべすべです!!こんな肌触りがいいように誰でもできるんですか~?!
「できます」
先生の言葉に励まされて、ししこしと目の細かいヤスリをかけ続けました。
み 「せんせ~こんな感じでいいでしょうか?」
せ 「あ。いいね。うん。いいよ。こんな感じ。じゃああと10分ね」
ひょ~。あと10分かあ、頑張るぞぉぉぉ……。こすり続けて一時間、やっとOKが。
できあがったら水分が染み込みにくいように蜜蝋を塗り込めます。はしの頭と先が欠けやすいので十分に染み込ませて完成、おそばが食べやすいように角を残してあります☆
箸袋は杉山さんのサークルの方のお手製です、裏地も付いててしっかりしてるこれなら外へ持って行っても恥ずかしくないですよね。きれいな袋に包まれてお箸もうれしそうです☆。
終わったあとは、博物館内の見学です。ガスミュージアムは東京ガス主催の博物館、120年前のガスを使ったランプとか装飾品の数々、ガス灯館の2階にあるギャラリーは
散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする
明治時代の錦絵が華やかかりし日々を彷彿させてくれます太陽が落ちると真っ暗だった街に灯りが付きまぶしいばかりの光がこぼれる店先、車の行き交う吾妻橋、銀座座通りは桜と楓の花が交互に並んでいたそうです。ご存じでしたか? 私は知りませんでしたよ(^^)。
ecoのマイ箸と博物館も見学もおまけについて、満足な一日でした。